母は母である前に祖母の娘

母は母である前に祖母の娘だ。
母には、なによりもまず母になってもらいたかった。
私と祖母が崖から落ちそうになっていたら、きっと私から助けるだろう。
でも、私と祖母が同程度の怪我、それも命には関わらないほどの怪我をしていたら、母はおそらく、私ではなく祖母から手当てする。

そんな悲しさ。

 

わたしたちは普段崖から落ちそうになることはまずない。
命に別状はない。
でも怪我はするし、困難にはぶつかるし、誰かに助けを求めたくなる時は往往にしてある。

その時わたしは母の視線の先にはいない。

そんな悲しさ。

 

祖母の命か、娘の命か、極限的な選択の時にしか発揮されない愛がある。
だとしたら、娘がその愛に触れられる日は来るのだろうか?

その時に、母の視線の先に私はいない。

 

それを嘆くことは、親不孝なのだろうか。

一度でいいから、あるはずの愛を見てみたい。

そこにそれがあるんだと、私は知りたい。

そんな悲しさが隣にあることを、たぶん母は知らない。